「Bond of the surfers」~サーフィンフォトグラファー神尾光輝氏の価値観を変えた東日本大震災

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 3.11の東日本大震災から9ヵ月が経った。未曾有の津波による甚大な被害は今もなお爪痕を残し、被災者の方々は忍耐の中で必死に立ち上がろうとしている。東北の冬は言うまでもなく寒く、もうすぐ年末を迎える。もし自分があの場所に住んでいたら?と考えれば、被災者の方々の心情はいかばかりかと思う。ある日突然、大きな揺れとともに大きな波が押し寄せ、町全体を流してしまった。同時に原子力発電所の爆発が起き、多くの人の故郷が奪われてしまった。テレビを通して悪夢を見ているかのような光景が全国に流された。しかしそれは被災地の方々にとっては悪夢ではなく、眼前にある恐ろしく悲しい現実だった。ともすれば被災地から遠い私たちは被災地の今の状況から離れていってしまいがちだ。時間が経てば経つほど、あのときの衝撃は薄れていき、被災地のことを忘れていく。

取材、文:米地 有理子

「サーファーがサーファーを助けるプロジェクト」を世界発信していく。

「Bond of the surfers」という海、サーフポイント、サーファーのためのサーファーによる募金活動や原発による海水汚染の問題への署名活動のプロジェクト

DSC_1113.jpgブースには大野修聖も応援に駆けつけた

そこでのさまざまな出会いが、彼の今までの価値観を変え、新たな活動を決意させた。

 サーフィンフォトグラファーの神尾光輝氏はそのことを早くから心配していた。この大震災は被害が莫大であるが故、復興には長期に渡る支援が必要と感じた。それは実際に震災後すぐに被災地を見て来て、多くの被災者の話を聞いてきたからだ。

 彼は震災後、東北の友人から「この現状を見に来たほうがいい」と連絡をもらい、救援物資を積み、通行可能になった東北道を1人車を走らせた。家族には4、5日で戻ると言って出て来た。しかし想像を超える被害の大きさを感じ、ボランティア活動をしながら被災各地を訪れ、3週間になった。そしてそこでのさまざまな出会いが、彼の今までの価値観を変え、新たな活動を決意させた。

 神尾氏は国内外で数々のサーフィン写真を撮り続け、作品は各サーフィン誌に掲載されている。その実力は冬のハワイ・ノースショアで水中写真を撮るフォトグラファーとして海外のフォトグラファー、サーファーに認められている。しかしながら、不況が続く日本の中でサーフィン業界も煽りを受け、サーフィンフォトグラファーもその影響を被らずにはいられない状況に陥った。厳しい状況の中で、神尾氏も煮詰まり、自暴自棄になりながらも家族のため精一杯自分を奮い立たせていた。そんな日々を過ごしていた時に、大震災が起きた。今まで生きてきた中で1番衝撃的なことだった。

かける言葉はなく、涙を流すことぐらいしかできなかった。

避難所に行って、いろいろな人の話をひたすら聞いた。かける言葉はなく、涙を流すことぐらいしかできなかった。未だに見つからない家族を探している人に少しばかりの救援物資を渡すと、「どこの誰かは知りませんが、ありがとうございます、ありがとうございます」と泣きながら喜ぶような人ばかりだった。中には家族やいろいろなものを失い、まだ前向きになれない人たちもいたが、多くの被災者の人たちから「それでも生きていかなきゃいけないんだ」という強く前向きな気持ちを教えられた。そして“今まで自分は何をくよくよ悩んでいたのだろう、自分のエゴなんて言ってられない”と感じた。このときから神尾氏は何一つプライドがなくなっていた。生きているだけで有り難いと思い、お金がなくても仕事がなくても落ち着いている自分がいた。

「サーファーがサーファーを助けるプロジェクト」を世界発信していく

そこでまた感動の再会があった。カリフォルニアのラグナビーチのプロサーファーのジョン・ローズと以前仙台に住んでいて撮影を一緒にしたこともあるプロサーファーのダニー・メルハドに、女川町で偶然出会ったのだ。実はジョンは18歳のときに来日し、神尾氏がサーフショップ「The Surf」で面倒を見ていたことがあり、それから20年近くぶりに会ったことになる。ジョンは2009年に起きたスマトラ地震に遭遇し、彼もまたそこから人生観が変わったのだった。彼はこの時の地震被害の経験から雨水や汚れた水を飲料水にすることができるフィルターを水が必要な地域に供給する「WAVES FOR WATER」というNPOを立ち上げ、多くの国を回っていた。そして大震災後すぐに二人でそれらのフィルターを持って支援に来てくれたのだ。神尾氏は彼らのボランティア精神を目の前で見て、決意を固めた。それは自身の写真を通して「サーファーがサーファーを助けるプロジェクト」を世界発信していく決意だ。これが「Bond of the surfers」という海、サーフポイント、サーファーのためのサーファーによる募金活動や原発による海水汚染の問題への署名活動のプロジェクトだ。

サーフィンの仲間を助けるというサーファーの支援があってもいいのではないかと考えた。

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サーフィンの仲間を助けるというサーファーの支援があってもいいのではないかと考えた。

サーファーとして何かアクションを起こしたい

今回の東北へ来るきっかけを作ってくれた友人に、サーフショップをしていたサーファーの所へ連れて行ってもらった。目の前にこれからどうしたらいいのかと悩む同じ海の仲間がいた。あまりの被害の大きさから、どこから支援していけばいいかと悩んだとき、まずは自分たちの仲間から助けていくことではないかと思った。さまざまな団体が同業者支援を行う中で、サーフィンの仲間を助けるというサーファーの支援があってもいいのではないかと考えた。

多くのサーファーがお世話になっていたサーフポイント、数々のサーフィン大会を行わせてもらっていた場所の復興のために、サーファーが立ち上がるべきではないかと。そしてそのアクションは復興が長期に渡る以上、国内はもとより、海外のサーファーにも訴えていくことが必要と感じた。また、原発によって海洋汚染を招いたことも世界中の国の人に対して謝りたいとも思った。

“サーファーは漁師の人たちと同じぐらい海に接している。サーファーとして何かアクションを起こしたい”と思った。そういうことをしているサーファーがまだいないのならば、自分がそれをやろうと決意したのだ。幸いフォトグラファーとして旅にも慣れていたし、言いたいことを言えるぐらいの英語も話せた。中にはその決意に反対、批判する人もいたが、“言いたい人には言わせておけばいい。自分の思ったことは迷惑をかけなければとりあえずアクションを起こしてみよう”と強い気持ちだった。現地に実際に行って現地のサーファーに会っていることも自身の心を後押しした。現地の人の声を伝達することは決して自分のエゴではないという自信があった。そして次の世代へ明るい未来を残していくためにより良い環境を作るにはどうしたらいいか、いろんな意見を聞きたいという願望もあった。

5月の終わりでもうすでに大震災のことは風化しているような現実に愕然とする。

5月の終わりでもうすでに大震災のことは風化しているような現実に愕然とする。

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 そこで今年5月、カリフォルニアのトラッスルズで行われたプライムイベントに1人、国旗を持って旅立った。事前にASPジャパンに「Bond of the surfers」の活動の趣旨をまとめた書類を持って、大会会場でブースを出して募金、署名活動をさせてもらいたいとお願いに行ったところ、すぐに協力してもらえることになった。また活動の資金も日頃からお世話になっているサポーターの方たちから支援してもらうことができた。そうして1人大会会場に辿り着き、ブースを出して活動を開始した。

しかし、5月の終わりでもうすでに大震災のことは風化しているような現実に愕然とする。大野修聖プロをはじめ知り合いのサーファーたちは来て応援をしてくれたが、現地のほとんどの人にとってはどうでもいいことになっているような気がした。まだ1年も経っていないうちに風化させてしまったら被災地の人たちに申し訳ないと思った。だから“日本人は仲間だという意識をもってもらいたい。原発に関しては日本を代表して謝りたい。サーファーの立場から世界中のサーファーに被災地のことを伝えたい”という思いをさらに強くした。嬉しいことにASPノースアメリカのジェネラルマネージャー、NIKE6'0のジェネラルマネージャーから活動に協力するとの有り難い言葉をもらった。その後、ニューポートのVQSコンテストでもブースを設置させてもらって活動をすることができ、カリフォルニアを後にした。

多くの人々のサポートで世界最大級のサーフイベント「USオープン」での活動へ。被災した福島の山田祥充プロとその友人2人が一緒に参加してくれることになった

 日本に戻り、次の目標であるカリフォルニアのハンティントンで行われる世界最大級のサーフイベント「USオープン」での活動の準備をした。費用があれば多くの場所に出向いて行きたいが、今は一歩一歩の状態。でもどうしても「USオープン」でやってみたかった。多くの観客が集まるイベントでやってみたらどうなるのかを知りたかった。ハンティントンは前にも住んでいたことがあり、師匠であり、サーフショップ「The Surf」の社長の紀藤雅彦氏が30年以上住んでいる場所だ。紀藤氏にバックアップをしてもらえることになり、心強かった。

そして今度の活動には、被災した福島の山田祥充プロとその友人2人が一緒に参加してくれることになった。山田プロは福島原発から4kmの場所に住んでいた。しかし今は故郷を離れ、家族で宮崎県に移住している。神尾氏は山田プロに取材で一緒にシューティングしてお世話になったことの恩返しを今こそしたいと思っていた。実際の被災者であるプロサーファーと一緒に活動するということがさらに自身のマインドを高めた。そして女川で再会したジョンやダニーもイベントの各機関に提出する書類に彼らの記事を提供してくれた。彼らも協力してくれているということがブース出展に際して力を発揮した。また活動のために支援してくれるサポーターの人たちがいた。

トム・カレンがサーフボードを持ってブースにやってきてくれた

トム・カレンがサーフボードを持ってブースにやってきてくれた

DSC_1050.jpgザ・サーフ紀藤氏とトム・カレン

 そうして、いろいろな人たちの協力を受け、とうとう世界最大級のサーフイベントで“サーファーがサーファーを助けるプロジェクト”である「Bond of the surfers」のブースを出展することができた。神尾氏は前回の出展のときに感じた大震災に対する意識の風化を今回一緒に活動する他の3人にもまずは知ってもらおうと思っていた。しかし、前回とは規模の違うイベントである。日に日にブースに人が立ち寄ってくれるようになっていった。前回も来てくれた大野修聖プロが自身の試合前日に立ち寄ってくれ、山田プロと感動の再会をした。さらに、メインイベントが始まる日に感動が起きた。なんとあのトム・カレンが奥さんとともに寄付のための2本のサーフボードを持ってブースにやってきてくれたのだ。

トムの奥さんは選手村に行き、ステッッカー募金を率先してやってくれた。トム・カレン夫妻が来てくれたことにより、多くの人がブースに立ち寄ってくれるようになり、海外メディアも気にかけてくれるようになった。この大きな支援は古くからトムと親交のある紀藤夫妻の力だった。神尾氏は自分もサーファーたちからこうやって支えられて生きているんだということを改めて実感した。そうして活動が勢いを増し、神尾氏は山田プロと選手村に行った。そこで、今年11回目の世界チャンピオンに輝いたケリー・スレーターをはじめ、ボブ・ハーレー、フレッド・パターチア、ロブ・マチャド、パット・オコーネル、バートン・リンチ、ピーター・タウンネンド、そして協力してくれたジョン・ローズに会って話をし、活動の資料を渡すことができたのだ。みんなが被災者である山田プロに温かい声を掛けてくれた。そんな収穫を得ながら、「USオープン」での活動は充実したものになり、大会終了とともに幕を下ろした。

その思いが集まれば、今は閉ざされた海への道が開けていくと信じている。

その思いが集まれば、今は閉ざされた海への道が開けていくと信じている。

 カリフォルニアから戻り、次はニューヨークで初となるASPイベントに出展を考えていた。しかしニューヨークでハリケーン災害が起きたため、大会は行うものの、イベントは中止との知らせを受けた。そこで神尾氏は日本に留まることに決めた。そのことによって運良く、また素晴らしい出会いがあった。デーン・レイノルズ、ヤーデン・ニコルらがシューティングで来日し、彼らに資料を渡すことができた。

さらにパタゴニアサーフ千葉のオープニングのために、ジェリー・ロペスが来日したのだ。そこで、ジェリー・ロペス、ウェイン・リンチ、ダン・マロイという蒼々たるサーファーに資料を渡すことができ、ジェリーから“協力するよ”との言葉をもらえた。今後、神尾氏の写真とジェリー氏のサインといったオークション募金も計画中だ。

 神尾氏は自身の写真の仕事の傍らでこのような活動を一生懸命行っている。仕事をしながら1人で活動を行っている為、活動の速度が遅いのが現状だ。他の人も自分の仕事があるからボランティアもなかなかお願いするのはできないと思うからと言う。それでも諦めず、自分のできることをしていこうと強い気持ちで行動している。

 神尾氏の活動をサポートしているウェブサイト「サーフィンスタイル」の「US OPEN支援活動」のレポートの最終章の神尾氏の言葉にこうあった。「オレはまた福島のローカルたちとあのバレルセッションすることを諦めていないぜ!!」

 多かれ少なかれ私たちサーファーは東北の海、ローカルサーファーたちと関わったことがあるだろう。今まで素晴らしい波をサーファーたちに与えてくれた東北の海、ローカルサーファーの人たち。サーファーという仲間をサーファーが支援する「Bond of the surfers」はあの海、波を取り戻し、サーファーたちが笑顔でサーフィンすることができる日を目指して活動している。その思いが集まれば、今は閉ざされた海への道が開けていくと信じている。

サーフィンフォトグラファー、神尾光輝。

サーフィンフォトグラファー、神尾光輝。

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一年の大半を波を求めて旅に出る神尾光輝。日本のサーフィンカメラマンの筆頭として、サーフィン専門誌に彼の名前がクレジットされ始めたのは、彼が写真を撮り始めて数年の事だった。

彼の人生に転機が訪れたのは、大学卒業後、渡米した時のこと。当時、カリフォルニアにやってくる若いサーファーの面倒を見ていたザ・サーフのオーナーである紀藤雅彦氏との出会いだった。紀藤氏は、サーフショプの仕事の傍ら、プロカメラマンとしてハワイやカリフォルニアで数多くの写真を撮影。神尾氏は、そんな紀藤氏に弟子入りし、カメラ機材を借りて写真を撮り始めたのだ。そして、幼少の頃から水泳を習っていた神尾氏は、その水泳力をフルに活用出来る、荒波の海にカメラを片手に泳ぎ出る水中カメラマンを志した。

サーフィンの臨場感を伝えるサーフィンカメラマンという職業の中で、最もリスペクトされる水中撮影は、波に乗るサーファーを広角レンズを使って超至近距離で撮影する。サーファーがバレルをくぐり抜けてくるインパクトゾーンとされる最も危険を伴う場所に身を置き、その瞬間を逃さずに泳ぎながらシャッターを切る。他の人が出来ない条件での水中撮影にチャレンジするという神尾氏の写真は本当のソウルを感じる事が出来る。


※神尾光輝オフィシャルホームページhttp://www.wavehunt21.com/


写真協力:サーフィンスタイル