未曾有の大震災を乗り越え、前進する千葉北からの震災レポート。

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未曾有の大震災を乗り越え、前進する千葉北からのレポート。

3月11日に発生した東日本大震災。その地震と津波は、我々サーファーの愛する東北地方から茨城県、千葉県の太平洋側に史上最悪の被害をもたらした。関東のサーファー達が多く集まる千葉北エリアも被害が大きく、そんな地震発生から2ヶ月が経った現地の様子をリポートする。



首都圏のサーファーにとって、親しみ深い千葉北エリアも今回の東日本大震災により被害を受けた。先日、千葉北エリアで最も被害が大きかった飯岡方面に行ってきた。というのは、以前取材でお世話になった飯田和史プロに状況を聞く為に連絡をしたところ、和史プロのサーフショップ“KIサーフ”は幸いにも被害を免れたけれども、いつもサーフィンをするポイントが津波被害によりサーフィンできる状況ではなくなった為、有志で少しずつできるところからビーチを片付けていると聞いたからだ。私も日頃からお世話になっている場所の復興に少しでも出来ることがあればと思っていたので、次の日曜日のビーチクリーン活動に参加させてもらうことにした。当日は鵠沼の友人サーファーと二人で軍手とマスクを用意して車で久しぶりの千葉へ向かった。サーフボードを車に積まずに千葉北エリアへ向かうのはめったにないことだ。

椎名内ポイントの片付けが一段落したので、今回は吉崎浜ポイントの片付けをすると聞き、片貝からいつもの海沿いの道を急いだ。いつもはこの道を「風が入らないうちに早く海入らなきゃ」とか「引きから上げで今が潮がいいから急ごう」とか言いながら海に向かうが、まだ飯岡の被害状況を把握していない中で道沿いの状況を確認しながら、千葉の穏やかな田舎の風景を見る度に少し安堵して車を走らせた。いつもは休日となるとサーフボードを積んだ車が行き交う道だが、やはりこの日はほとんど見かけなかった。

そして、懐かしい吉崎浜に辿り着いた。もう既に作業は始まっており、出だしが一歩遅かったが、スコップを借りて、ポイントの道に溜まった砂の除去のお手伝いをさせてもらった。参加メンバーは、日頃吉崎浜でサーフィンを楽しむサーファーたちで、和史プロの呼びかけに千葉はもとより首都圏から集まった。また、旭市出身在住の宇井初美プロ、一宮からも山浦宗治プロが駆け付けて作業に参加していた。みんなで力を合わせて少しでも良くなるために汗を流すことで、まだ先の見えない状況を乗り越えて行く勇気が湧いてくる。作業の途中で、ふと海に目をやると、いつもと変わらない吉崎のいい波が割れ始めていた。集まったサーファーの視線はやはり海に向かう。みんなが 「 サーフィンしたいっ!」と思っていたに違いない。ひとまずその日の作業を終えて解散し、みんなが「お疲れ様~!また来週~!」と帰って行った。今後もビーチクリーンを続けていく予定とのことだ。詳しくは“KIサーフ”に聞いてほしい。

その後、飯岡の町の方にあるサーフショップ“Sand Spit”にお邪魔し、震災の時の話を聞いた。幸いお店は流されなかったが、津波がドアを突き破り、浸水した。オーナーたちは灯台の方へ逃げて、数日間避難所で過ごしたという。周りにはすっかり流されてしまったお店もあるようで、津波の恐ろしさを実感した。お店は再開に向けて修理をしているようだが、周りの復興が進んでサーファーたちが訪れない限り商売ができないという状況だ。サーフショップに限らずそのようなお店がたくさんあるのが現状だろう。実際、被害の大きかった飯岡の町を車で走ってみると、途中瓦礫の山が見え、海沿いの家は多くが被害を受け、更地になっている所も多くあった。

聞いたところによると、家の全壊が30 戸、半壊が1000戸ぐらいとのこと。場所によっては,海にはテトラが転がっており、テトラを除去しなければサーフィンは危険な場所もある。テトラの除去はある程度町の復興作業が進んでからになるだろうから、しばらく、この辺りでのサーフィンは注意が必要だ。今後、飯岡のローカルの人たちに状況を聞いて判断してほしい。

 ともあれ、震災後は多くの人が物理的にも心情的にもいろいろと自粛してきたが、復興に向けて進んで行く中で日常を取り戻していかなくては、生きるための経済がまわらなくなってしまう。今回KIサーフの飯田和史プロは「被災地でない所の人たちが元気でテンション上げていかないと、被災地にも元気を送れないから、被災地以外は基本は今までの状態に戻さないとって思うよね。このままでは被害がそれほどひどくなかった場所の民宿や飲食店、コンビニもだめになってしまうから」と危惧する。

最後に和史プロが語ってくれた「今回、経験したくないことを経験したけど、助けたり助けられたり、みんなが一つになって、ひとまわりでかくなった気がする。みんなが繫がって居るって感じた。これを一つにの教訓にしながら、できることをしていかないとって思ってます 」という言葉に、未曾有の大震災を乗り越えるためにみんなが一丸となってそれぞれのできることを頑張って前に進んでいくしかないと決意を新たにした。それぞれの立場で復興に向けて最大限の力を結集したとき、日本はこの国難を見事に乗り越えて更によい国になれると信じて。

text&photos/米地有理子

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撮影:米地有理子
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写真キャプション【1】コンスタントに波があり、普段から首都圏のサーファーが多く訪れる吉崎浜。【2】飯田和史プロの呼びかけに週末多くのサーファーがビーチの復興の手伝いにやって来た。【3】地元旭市出身の宇井初美プロ(右)も参加。【4】ビーチの復興作業を進める飯田和史プロ(右)と千葉一宮から駆けつけた山浦宗治プロ。【5】作業の途中、サーファーの視線の先にはいい波が割れていた。【6】今回の大震災で大きな津波被害を受けた飯岡の町では瓦礫が除去され、更地になっている所が多く見られた。【7】みんなで力を合わせて、またサーフィンができる海を取り戻していきたい。