更新日 2008年01月21日 (月) 14:48

 


昨年、他界されたワヤン・カントールさんを偲び、彼の友人達の手によって、

バリと日本を繋いだ立役者 ワヤン・カントールさんの思い出のアルバムが完成しました。


2007年6月8日(金)未明、デンパサールのサンラ病院で心不全のため、永遠の眠りについた“かんちゃん”の愛称で親しまれていたI WAYAN KANTORさん。享年48歳。現在、バリ島には世界中の国、地域から多くのサーファーが訪れますが、中でも日本人とバリニ−ズは特別親しい間柄にあり、全国規模で多くの交流が行なわれております 今では、ジャパニーズサーファー海外渡航先No,1となったバリ島。 その魅力は多々あるが、波の豊かさと親日的なバリニ−ズの存在が相俟って 人気を博していることは間違いないだろう。

バリ島と日本の交流がスタートしたのは今から約30年程前とまだ歴史は浅く、 当時のバリ島は、オージーやヨーロピアンが多く訪れており、ジャパニーズは少数派 であった、当然、海での力関係も彼らに主導権を握られていたのも事実だ。 しかし、その勢力図は徐々に変わっていく。同じアジア人として、同朋意識が ジャパニーズとバリニーズの友好を深めていったのである。

そんな、友好関係の礎を築いてくれたのがクタビーチローカルでバリサーフィン クラブの重鎮であり、ロスメンKUTA SUCIのマネージャーでもあったワヤンだ。 ワヤンの直向な姿勢が、その仲間や後輩達に受継がれ30年の時を経て今日のような ジャパニーズサ−ファ−とバリニーズサーファーの友好関係を築きあげてきたのである。 彼らバリニーズは私達ジャパニーズの来島をいつも笑顔で快く迎え入れてくれる。 それは、30年経った今も何ら変わっていない。

そんな彼を偲び、彼の友人達の手によって、素敵な思い出のアルバムが完成いたしました。全てをダウンロードして、プリントアウト、A3サイズのものを半分に折れば、A5サイズのアルバムが完成します。全てPDFファイルです。

メモリー・オブ・ワヤン・カントール(表紙、背表紙)448K
メモリー・オブ・ワヤン・カントール(ページ01〜02)753K
メモリー・オブ・ワヤン・カントール(ページ03〜04)557K
メモリー・オブ・ワヤン・カントール(ページ05〜06)590K
メモリー・オブ・ワヤン・カントール(ページ07〜08)602K
メモリー・オブ・ワヤン・カントール(ページ09〜10)721K



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