更新日 2005年7月14日 (木) 23:07




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だいたい飛行機3つ乗って、丸一日の行程なんだけどね。

で、ここから始まる長い旅の覚悟を決めて、飛行機の座席に座り、雑誌いかがですか、なんていわれて、う〜ん、アエラでも読んじゃうか。なんてひょいと何気なしにアエラとったら、表紙がジャック・ジョンソンの顔のアップだったのには死ぬほどたまげた。あんた、ここでなにやってるの? みたいな。アエラだよ、アエラ。朝日新聞の。あいつそんなに有名になっちゃったの?

とにかくこのアエラはパクって行こうと思い、小脇に隠し、自分が買い込んだ(私は完璧な活字中毒だから、2週間の旅になれば10冊以上の本が必要だ)文庫本の中から、簡単に読めちゃいそうな女系家族(上巻)を出して読み始めた。そろそろ飛行機は動き出すな、と思っていたのだがなかなか動かず、機長のアナウンスが入る。「あのね、みんな聞いて。出発しようと思ったんだけど、なんだか第2エンジンの出力が上がんないのよ。いまね、メカニックが直してるんだけど、2〜3時間かかりそうなの。これからスナックでも配っちゃうから、みんなあきらめてゆっくりしてね」みたいな。

ちょっと待って、私シンガポールで乗り継ぎに1時間半ぐらいしかないんだけど!

と思い、さてじゃどうするか、と考え、シンガポールの友達のうちに泊まって1日遊んで翌日の同便に乗るか。じゃ、ネコ番のゆみちゃんに電話して住所録から友達の電話番号メールしておいてもらうか。

それと同時にJベイで借りる家の管理人にメール連絡して鍵の段取りもしなくちゃ、なんて、けっこう危機管理万全。次々に打つ手を考えてた。するとお姐さんがやってきて、お客様乗り継ぎがあるんですよね、みたいな。で、乗り継げないんでしょ、と私。するとお姐さん、今から急いで別便に乗ってもらってシドニーに行き、そこからヨハネスブルグ行きに乗ると夜になるけど同じ日に着けますよ、どうします? ときたわけだ。

え、明日着けるの? とこの朗報に飛びついた私。うんうん、じゃ、それでいく。とあわてて荷物をまとめ、パクるアエラのことばっかり頭にあって、それは忘れずにパクったんだけど、女系家族(上巻)はすっかり忘れてきてしまった。もちろん下巻も持ってるんだけど、上巻がないと役にたたないでしょ。

ま、そんなことはいいとして、シンガポール航空でシンガポールに行くはずの私は、バスに乗り、空港を突っ切って第2ターミナルに連れていかれ(これ空港内横切るとすごく近いんだね)、いきなりJALでシドニーに連れていかれることになった。しかも7時間ぐらいかなとタカをくくっていたのにたっぷり9時間はかかるという。その上このJAL771便、最低だったな。機材が古くてイスが旧式で、ビジネスだったけどあれならシンガポールのエコノミーのほうがまだ良かったかなぐらいな。びっくりしたよ。JALってなんかすごくいいようなイメージあるじゃない。あれ、ウソだな。JAL最低。客室乗務員はさすが日本人感覚で、痒いところに手が届くサービスなだけに、惜しいな。思い起こせば昔オーストラリアから一度JALに乗ったことがあったけど、そのときのイスも最低だったのを思い出したよ。桑田とか使ってコマーシャルしてる金があるなら、イス最新に整備しとけ! と言いたい。

で、まァとにかく、そのリクライニングほとんどしない旧式イスで9時間。身体ガチガチになって朝の7時にはシドニー空港にたどり着いたわけだ。そこで今度はカンタスに乗るんだという。

問題だったのは私の地球の地図が正確でなかったこと。シドニー〜ヨハネスブルグはもしかしたらシンガポール〜ヨハネより短いと思い込んでたんだな。シンガ〜ヨハネは11時間だから、9時間とか、うまくすれば7時間ぐらいで着いちゃうんじゃない? なんて勝手に決めてた。確かオーストラリアのパースからだと5時間とかだったはずだから。なんて。

この思い込みが大間違い。トランスファーデスクで、やたらでかいオージーのおねぇさんに、ところでこのQF63便って何時間のフライト? って聞くと、12時間。とあっさり答えた。そして満面の笑顔で、でも乗り継ぎなしのダイレクトフライトだから、なんて。

え、9時間の眠れなかった夜のフライトのあとに、もうひとつ12時間乗るの?????

ここで、ぐったりというか、カウンターの前でずっこけたね。

その後機内誌とかで正確な世界地図を見てみると、私一度逆方向に飛んで、そこから戻るルートなわけ。ほぼ成田を同じ時間に出て、翌日の昼にJベイに着くはずが、夜の10時着ってことになっちゃったわけだ。これね、いままでで一番長い旅だったかも。30時間って。しかも乗り継ぎ、乗り継ぎで、その乗り継ぎの空港ではあちこちに電話したり、メールしたりと緊急にやらなきゃいけないこと目白押しだったし、時差もあるから連絡取れなかったらどうしようとか、さすがの私も夜の10時に鍵ナシでJベイで、車の中で寝るなんていうのは無理だし。最悪ヨハネで1泊かな、疲れてることだしと覚悟したんだけど、ヨハネでようやく借家の予約をしてくれた人と連絡が取れて、ルームメイトがすでに家に居るから大丈夫だと言う。実は彼ら、翌日着の予定を1日早めたらしい。レイン・ハリソンってサンディエゴのサーファーとモーゼスってカメラマン。いや、これはラッキーだったな。

そういうわけで、私はなんとかたどり着けたんだけど、英語しゃべれてよかった。こういうトラブルに会うたびに思うよ。これで英語話せなかったら、泣くだけだなって。ま、そうやって泣き続けてきた結果、英語も覚えられたんだけど。

ただね、この長旅で、どこでどう体内時計が狂ったのかわからないけど、しっかり南アフリカ時間の6時起床9時就寝ってリズムがいきなり始まったのは楽だったな。いつもここでは時差ぼけに苦しむから。こっちの朝6時は日本の午後1時なんだけど、1時に起きて明け方の4時に寝るって、どこでこんなリズムになったんだろう。結果的にJALの寝られない旧式イスに感謝、って話になっちゃうんだろうか。

 


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