パイプライン・マスターズ・プレビュー:アンディのオーラ....(11/27)
12月8日、ビラボン・パイプライン・マスターズのウエイティング期間が始まる時、40回記念大会のイベントに、決して忘れることのできない名前が一つ足りない事に誰もが気づくだろう。アンディ・アイアンズは、サーフィンというスポーツの歴史のなかで、パイプラインという場所において、生涯忘れがたい記憶の数々を刻んだ。
もちろんA.I.は、その他にも多くの素晴しい記録を持っているが、パイプラインで彼が残した素晴しいストーリーについて話したいと思う。
アイアンズは、小学生の時から、カウアイ島のホロー・バーティカル・リーフで技術を磨き、ビッグ・ホロー・チューブでの大胆かつ卓越したテクニックを身に付け、自信を手に入れた。
彼がパイプラインに挑むのは当然の事だったが、アウターアイランドのサーファーは見落とされやすく、1996年のHICパイプライン・プロまで彼の腕前は誰にも気付かれなかった。
僅か17歳だったアンディは、10フィートオーバーのパイプラインにチャージし、パイプ・マスターに君臨するデリク・ホーと多数のニュースクーラー達を圧倒した。その6年後にアイアンズは、初のワールド・チャンピオンを獲得する。
Andy Irons : photo courtesy Billabong
4度のパイプマスターであり、3度の世界チャンピオンの死により、今年12月のパイプマスターズは大きな喪失感に包まれることになるだろう。パイプラインはキング・アンディの庭だった。そして、未だかつて、その場所で彼より上手く滑ったものは誰もいないと言えるのではいないだろうか。
地球上で最もヘビーな波で行われる世界最高峰のコンペティションにおいて,猫のような優美さと素晴しい才能を持った、圧倒的な肉体を駆使したアンディの捨て身のアプローチは驚異であった。
2003年から2005年までの間、アンディとケリーが火花を散らした。それは,これまでのサーフィン史に刻まれる最も素晴らしい戦いであった。
今では伝説となった2003年のパイプ・マスターズ。2003年の最終イベントのファイナルヒート。おそらく、それは、これまでのパイプラインマスターズの歴史におけるベスト・パフォーマンスといえるだろう。
ファイナルで完全にリードを奪われていたアンディは、ありえないパフォーマンスで、長年のライバルであったケリー・スレーターからクリティカル・ビクトリーをうばい取ったのだ。
スレーターとのその対決は、サーフィン史で最も有名なバトルになった。その勝利で、アイアンズは3年連続のワールド・タイトルの2勝目を獲得し,このスポーツで最も素晴らしいサーファーとして彼の名声を確固たるものとし、無敵のスレーターのオーラを粉砕した。
2001年から2006年までにアンディは、パイプ・マスターズに4回勝ち、彼の弟であるブルースが1度優勝。その6年間は「アイアンズ時代」と言われた。
21世紀の最初の10年間で、アイアンズの名前は、パイプとバックドアへ猛チャージするサーファーの象徴となった。その情熱的で抑制されない、常軌を逸したサーフィン・スタイルはパイプ・サーファーの進化に大きな影響を与えた。
アンディのいないパイプラインは、サードリーフ・バレルのように大きく、ぽっかり心に風穴が開いた感じだ。しかし、彼の伝説的な存在は、今後も彼が愛したスポットで感じ続けられるに違いない。
ビラボン・パイプ・マスターズに関する最新情報はこちら:
http://triplecrownofsurfing.com/billabongpipemasters